東日本大地震にあって

3月11日14時46分。

職場の自室にいた。

机においていた携帯が聞き覚えのない音を発した。

地震予報速報の音だった。

これまであまり当てにならない予報だっただけに

また~?と半信半疑だったがその2、30秒後・・・

ガタガタと部屋のものが音を立てだしたかと思うと

建物全体が大きく揺れ出した。

これは部屋にいるとやばい。本をならべているキャビネット

につぶされると思い、廊下にでた。

そして停電がおこった。

これまで経験したことがないくらいおおきく、しかも長く続いた。

3~4分続いただろうか。

ようやく揺れが止まった。

建物が倒壊する、窓が割れる、大きな棚が倒れるといったことはなかったので

このあたりの被害はあまりないなと直感した。

急いで携帯のワンセグでTVをみると宮城県沖で強い地震があったとのことだった。

しばらくすると、津波警報が東北だけでなく、日本のほぼ全域にでていることを知らせる

内容がでた。そして津波が押し寄せてくる映像、飲み込まれていく町の映像が流れた。

その間も大きな余震は頻繁におこった。

太平洋側で史上最悪の事態になるかも・・・・。

そう思った。

こどもたちは無事だろうか?

電話をかけたがすでに不通だった。

たしかはるとは今日児童館にいるはず。

おかあやんは仕事の研修から帰ってきたのかな?

メールもしたが届かなかった。

帰らなくては。

5時に職場をでたが、道路の信号はほとんど消えていて

警察が交差点にでて誘導していた。

警察がいない交差点では直進、右左折車がお互いをうかがいながら進入してくるので

渋滞となった。

停電で真っ暗なのにその先の国道は大渋滞の車の光でオレンジの光の線となっていた。

これではいつ帰れるかわからない。

ハンドルを切っていつもの道ではなく田舎道を通るルートを選んだ。

正解だった。

とおくにオレンジの川がいくつも見えるが、こちらはスイスイだった。

それでも家についたのは7時をすぎていた。いつもなら30分でつくのに

2時間かかった。

家にはいると当然停電で、ロウソク、懐中電灯の明かりが灯され、

そのなかで子どもたち3人はポータブルDVDをみていた。

こんなとき、こどもたちはキャンプ気分でけっこうはしゃいでいるものだ。

おかーやんも母も無事でロウソクの明かりで夕飯をつくっていた。

ガス、水道はとおっていた。

うちはガス温水暖房だが電気がなければ給湯器は動かない。

こういうときにそなえて前の実家にあった石油ストーブをとってあって、

すでにそれを出して暖をとっていた。

コンロもガスだが普段着火には電気を使う。でも停電用にそなえて

電池で着火するアダプターが用意されていて、それで普通に煮炊きはできていた。

家中のライト、電池をかき集めたがいつまで持つかわからない。

トイレでこまったことがおきた。

水が流れない。

1階のトイレはタンクレスのハイブリットトイレで

節水するために水をモーターで吸引する仕組みになっていて電気を使う。

だから停電でそれが動かなくて使えないのだ。

トイレの後ろにコンセントがあってそこにACアダプターがささっている。

これは?暖房便座と、そのモーターのための電源?

このACアダプターに電気をとおせば流れるかも。

そうだ、車につんであるシガーソケットから電源がとれるインバータが使えないだろうか。

コンセントも2口装備されている。

さっそく車をトイレに近い道路側に移動させ、トイレの窓から延長コードを

だして車までひっぱってきてインバータに接続して電源を入れた。

すると・・・・

ずごごごー。

やった!水が流れた!

これは使える!延長コードにもう一つ延長コードを接続して居間まで引っ張ってきて

ポータブルDVDにつなげ、付属のアンテナをつなげて携帯よりも大きな画面でTVをみることができた。

使える!インバータ!

でも、いつ復旧するかもわからないからライトの乾電池の節約のためにも早くごはんを食べて寝ることにした。

いつでもすぐに逃げれるようにみんな1階の居間で、持ち出す避難袋、ジャンバーなどを傍らに用意しておいて寝た。

寝ながら携帯のTVをみていて、津波で壊滅している町の様子が何度も流されていた。

津波が目の前までせまっているのに車にゆっくり乗り込んでいる人の映像があった。

直後に膨大な量の水が道路に流れ込んだ。

あの人はきっと・・・・。

家がまるでうすいベニヤかなにかでできてるかのようにバリバリと音を立てて壊れて流されていく。

車も船もなにもかも・・・。

このなかに多くの人もきっとながされいる。

こうなっては人は非力、無力。

まさに地獄絵巻だ。

夜10時か11時ころ携帯がつながるようになった。

おかあやんの実家にもつながり無事が確認できた。

深夜にさらに大きな地震、日本海側にも津波がこないとは限らない。

不安に思いながらもTVをみながらいつの間にか寝ていた。

次の日の朝、あの地獄がまるでうそのようにいい天気だった。

そして、この日から地震の恐ろしい被害が次々にわかってくるのだった。

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